桜みたいに泡沫の夢みたいに感情を流したい
わたしのことを好きな人がいるなら、わたしのことを嫌いな人も必ずいる。
同じように、人種の問題もしかり、国と国の問題も好きな人も嫌いな人も存在する。
だからといって個人個人それぞれが嫌いだから意地悪することや、意地悪し返したりすることはどうだろう。
攻撃することや、その仕返しをやり合うことの不毛さ。
嫌いな人が存在しててもいい、嫌ってもいい、そういう自由はある。
わたしたちは、自分の感情を理由に人を追い詰める手段を実は複数持ち合わせている。感情を利用すれば、弱さで人を操ることもでき、強さで人を操ることもできる。
実は、弱さも強さも人を簡単に傷つけ痛めつけることができる最強の武器なのだ。
果たして、生きることに武器は必要?
武器を持って、一体なんの為に防御する?
わたしたちが苦しまないために起こしている防御行為のはずが、鉄砲を打てば人は死に、弱くててうごけなくなると人を巻き添えにして死ぬ。そして、悲劇を繰り返すだけなのに。
誰も傷つけず、自分を傷つけない方法は防御しないこと。
防御なしでも生きていけるようになると、きっとわたしを嫌う人も受け入れてその自由を認められる人になれる。
そのために、わたしは執着をなくしたい。そして、世界から戦争をなくしたい。
この世界に生きている人たちは、みんな平等に尊い。みんながしあわせになる権利はあるでしょ?
桜みたいに、泡沫の夢のごとく一瞬のうちに感情を散らせてなかったことにすぐできる人間になりたい。
自分を観察していると、この世から戦争がなくならない理由が悲しいほどはっきりとわかる。
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